花王ミュージアム Kao museum
  • 清浄文化
  • 第一章 仏教と風呂
  • 第ニ章 リサイクル都市 江戸の清浄
  • 第三章 石けん・洗浄剤の発展
  • 第四章 高度成長期時代の清浄
  • 第五章 多様化する現在 そして、未来へ
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花王ミュージアムで知る
日本の清浄文化
入浴を好み、美肌や美しい髪への意識も高いと言われる日本人。その根底にある「清浄」の文化は、日本でどのように発展してきたのでしょう。花王のミュージアムをたずねて、その歴史をひもといてみましょう。
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第一章 仏教と風呂
日本の入浴文化は、川や滝などで身を清めるために行われていた神道の儀式から始まったと言われていますが、より広く一般に広がっていった理由には、風呂が病を癒す場の提供、あるいは布教の場として、仏教と結びついていったことがあげられます。
八瀬の釜風呂

今は「入浴」と言えばお湯につかることをイメージしますが、日本最古の風呂は、釜風呂、つまりサウナのようなものでした。スギなどの木を焚いて、塩水に浸した荒筵(あらむしろ)をかけると、一気に湯気が立つのだそうです。身を清めたり癒したりする目的で使われていました。京都の北、山奥にある八瀬という場所では、壬申の乱のとき、流矢を背に受けた大海人皇子(のちの天武天皇)が、釜風呂で傷を癒したという伝説が残っています。

光明皇后 千人風呂

上は、仏教に関連した絵巻です。聖武天皇の妃である光明皇后が、ある僧侶から「天然痘をわずらった1000人の患者をお風呂に入れて看病しなさい」というお告げを受けました。皇后が1000人目の患者の膿を吸った瞬間に、この患者は仏になり、皇后さまも幸せになったと伝えられ、ここにはその1000人目の患者の姿も描かれています。「千人風呂」という言葉はこの話に由来するとのこと。

宮廷文化/入浴日を決めるのは占い?
洗髪風景 肌の美白効果があると言われたうぐいすの糞

宮廷に仕える人々の朝は大変忙しいものでした。朝3時に起床、洗顔や歯のそうじ、朝食などに加え、その日の吉凶を占ったり、日記を書いたりと、出勤までにこなさなければならないことがたくさんありました。入浴は占いで日が決まっており、それは5日に1度くらいの割合だったとか。また宮廷の女性たちは、洗髪のための休暇があったようです。

布教のための風呂

釜風呂ではなく、かかり湯の風呂の中で日本最古のものは、東大寺にありました。当時、風呂は寺が奉仕活動に来た人々のために用意したものでした。今日でも多くの銭湯の屋根がお寺のような形をしているのは、そのためです。風呂に入った人は、体の痛みが改善したり、極楽浄土にいるような気分を味わえるので、また奉仕活動に来ようと思う…つまり風呂は、布教にも一役買っていたのです。

第ニ章 リサイクル都市 江戸の清浄
江戸時代になると、都市全体が著しい発達を遂げ、庶民の間にも清浄の意識が広がり、銭湯が生まれます。この時代に使われていたアイテムや、このころ根づいた習慣の中には、現代の生活に生きているものもたくさんあります。
銭湯文化

江戸時代は、都市が発展し、さまざまな商売が生まれ、町人たちのくらしが生き生きと活気づいてきた時代です。上水道も完備され、銭湯が庶民の生活の一部となりました。毎日というわけではないにせよ、銭湯で汗を流し、コミュニケーションを楽しんだのです。

銭湯で使われていたバスグッズ
浴衣 風呂敷(風呂で使用されたことからこの名前がつきました) 体を洗う へちま、ぬか袋 角質をとる 墨、軽石 今も使われているものがたくさんありますね。
江戸時代の歯磨きは…

歯ブラシには、繊維が多く、弾力がある、柳の木を割いて使っていました。歯磨き粉は、房州砂からつくられました。房州砂をかめの中でかき回すことで上部にたまった白濁水を、鍋でぐつぐつ煮込むと、研磨力があって、かつ細かく、歯に傷をつけにくい研磨剤ができあがります。当時の人はこれにハッカなどを混ぜて歯磨き粉にしていたのです。ここから推測すると、口腔内の衛生状態も、現代ときわめて近いレベルが保たれていたと思われます。

第三章 石けん・洗浄剤の発展
平安時代、洗浄剤には、界面活性剤作用を持つムクロジの実や、サイカチのさやが使われていました。石けんのもととなる「しゃぼん」は、ヨーロッパから伝来したものです。常に高価で、最初は下剤として使われており、戦国時代には武士が鎧を着る前に服用したとか。しかし時代の変遷とともに、石けんは「洗浄」のための必需品として発展。さらにさまざまな用途に応じた洗浄剤が登場します。
榎本武楊と石けん

幕末の戊辰戦争。幕府側のリーダーで、敗北により投獄された榎本武楊は、かつて石けんづくりの技術を学んだ経験があったため、仲間たちにその技術を伝授。彼らの出所後、さまざまな場所に石けんの工場ができ、その後の石けんの発展に大きく貢献することになったのです。

鉄道沿線に立てられた花王の野立看板(1925年ころ。愛知県岡崎・安城間)。野立看板は珍しい広告として各地で歓迎されました。

1873年に、日本ではじめて石けんが発売されましたが、品質はあまりよくありませんでした。その6年後に発売されたのが、桐箱入りの「花王石鹸」です。3つ入りで35銭。高価ではありましたが、品質が評価され、全国に販路を広げ売上を伸ばしました。

日本でも、質のよい石けんを。花王石けん第一号
原弘デザイン、第二号石けん

花王の創業者、長瀬富郎の死後、石けんの進化は二代目にゆだねられます。石けんの普及に一役買ったのは、パッケージのデザインです。8人の著名なグラフィックデザイナーによるコンペティションを実施し、その中で原弘(ひろむ)氏のデザインが選ばれました。

機械式洗たく機の登場、洗剤の普及 当時の広告 日本初の機械式洗たく機

大正時代になると、水道・ガス・電気などのインフラがかなり整備され、さまざまな電化製品が誕生。東芝から機械式の洗たく機第1号も発売されました。当時の小学校教諭の給与の半年分の値段でしたが、洗たく機はこの後少しずつ、一般家庭に普及し、それにともなって洗たく用の洗剤も進化していきました。

順調に進化し続けたかに見えた日本の清浄文化ですが、これを一時的に後退させてしまったのが第二次世界大戦です。戦中から戦後にかけて、油が供給されなくなったため、石けんは1年に3~4個ほど配給されるのみ。サイカチやムコロジなど、平安時代に使っていた自然素材に再びたよらざるを得なくなりました。しらみ対策としてDDTを散布したなど、衛生状態の悪さを証明する記録も数多く残っています。

戦争により時代は逆行。平安時代、ふたたび
第四章 高度成長期時代の清浄
戦争の痛手は大変なものでしたが、そこから日本は驚異的な復活を遂げます。1950年から高度経済成長が終わるまでの約20年、経済成長はめざましく、電化製品も発達、普及にともなう生活の変化が、洗たくや入浴といった清浄の意識を変えていきました。
消費は美徳!大量消費。生活の革新

戦中・戦後は節約は最大の美徳でしたが、経済が急速に発達し、人々の消費欲も回復します。西洋化も一気に進み、電化製品に関しても、三種の神器と言われた洗たく機、冷蔵庫、テレビのほかに、そうじ機なども普及。内風呂の習慣も根づいてきました。洗たく用洗剤も需要が増え、アメリカ製品や日本の戦前の製品をもとに改良され、全国に広まっていきました。

手が届かない値段だった洗たく機が、一般家庭にも買えるように。

公団住宅の増加により、外にゴミを出さないそうじ機が普及。

それまでは銭湯が一般的でしたが、昭和30?50年ごろから個々の家にお風呂が普及。

五日に一度はシャンプーを!?

洗髪にもかつては石けんが使われていましたが、高度成長期には、髪専用のシャンプーで洗う習慣が根づいていき、形状も固形や粉末などから、次第に液体へと変化していきます。昭和37年の新聞にもあるように、花王フェザーシャンプーの広告のキャッチコピーは「5日に1度はシャンプーを!」でしたが、1980年代には「朝シャン」、つまり毎朝のシャンプーがトレンドに。シャンプーの頻度が上がるにつれ、シャンプーの品質にも「汚れがしっかり落ちる」ことに加えて「髪にやさしい」ことが求められるようになりました。

高度成長時代が促したのは、プライベート重視のライフスタイル

銭湯に行って入浴し、だれかの家に集まってテレビを観る、という生活習慣は、住まいの進化や家電の普及にともない、自宅で入浴し、自宅でテレビを観るというライフスタイルに変わっていきます。くらしの中心は、よりプライベートな空間へ。その変化は、商品に対するニーズの多様化を生み出すことになります。

第五章 多様化する現在 そして、未来へ
さまざまな商品が開発された今、清浄文化における進化は、より便利に、より快適に、より多様で細かいニーズを満たすようにという方向に向かっています。しかし同時に、私たちが社会の発展のためにあと回しにしてきた、地球環境の問題と向き合わなければならないときにも来ています。未来のためにも「地球をキレイに」を考えながら、「自分も、生活もキレイに」を考える、その両立が求められる時代だと言ってもよいでしょう。
商品の多様化

時代は平成を迎え、ファッションもライフスタイルも、より自由な広がりを見せるようになりました。また各分野の技術の向上にともない、洗たく機などの製品も、劇的に変化。そこから生まれる多様なニーズに応えるべく、さまざまな商品が登場します。

※商品は発売当時のものです
二槽式 全自動 ドラム式
新たな視点から生まれる洗浄製品
※商品は発売当時のものです

新世紀を迎え、あらためて浮き彫りになったのは環境問題の深刻さ。CO2の増加などが引き起こす、気温の上昇やエネルギー資源の限界。増え続けるゴミ。これらに対処するためには、製造方法から使い方まで、新たな工夫が必要となります。地球と文化との共存、それこそが現代の清浄文化を象徴する特色と言えるのかもしれません。

心を清める という意識 日本の清浄を見つめ続けて 花王ミュージアム 丸田 誠一

日本人はキレイ好きだと言われます。何かを洗うときはていねいに水ですすぎ、汚したあとは片づけます。日本料理店における清掃状態のすばらしさは、世界に誇れるものです。毎日、必ずすみずみまでキレイにしますし、調理する人は爪や髪の毛にも気をつかうという、徹底した清潔感。そこには日本独特の意識が息づいています。おそらく、清浄という行為が神道や仏教と結びつき、「心を清める」もしくは「精神修養」の役割を持って発展してきたことが大きいと思われます。洗浄やそうじは、単に物理的な汚れを落として衛生を保つためだけではなく、心を美しく、素直にするという意味を持っています。そういった意識が日常にも生きているのでしょう。

花王は、毎日のくらしの「清浄」をサポートし続けてきた会社です。花王の目的は単に「商品を開発して売ること」ではありません。約120年前に「花王石鹸」を発売して以来、花王がめざし続けているのは、その先にある「商品を通してくらしと心が豊かになる」ことです。そのために、社会の持つ課題を常に議論し、ニーズに応えるべくひたすら努力する。そういった姿勢が今も花王の礎になっているのです。

このミュージアムは、花王の創業者である長瀬富郎の遺品が発見されたのを機に、国内外の清浄文化史、花王の足跡とスピリットを知っていただくために、試行錯誤を重ねて生まれたものです。このように清浄に特化した博物館というのは、世界的に見てもほとんどないでしょう。歴史的な知識から、花王が社会において果たしてきた役割、最新の科学技術やエコへの貢献に至るまで、楽しんでご覧いただければ幸いです。

花王ミュージアムのご紹介

「花王ミュージアム」は、すみだ事業場(東京都・墨田区)に開設され、一般公開されています。清浄文化や清浄生活の向上に深く関わってきた花王だからこそ収集できた数々の史料を、展示・公開しています。かつての町や銭湯を再現したミニチュアの模型や、興味のあるところを詳しく見たり、音声を聞くことができるタッチパネルも充実。まるでタイムスリップしたような臨場感で、子どもから大人まで楽しめる空間です。また、花王の今日までの事業活動の歴史やそこに受け継がれているスピリット、商品や広告の流れ、“よきモノづくり”精神から生まれた最新の製品などもご紹介しています。

所在地

東京都墨田区文花2-1-3 花王すみだ事業場内

案内地図

見学方法などは下記をご参照ください。

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2015年2月掲載