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「からっぽ」につまっているもの。

今日のお弁当箱、からっぽで返ってきましたか?からっぽの箱を洗って、明日また、ご飯とおかずの詰まった箱を持たせて。そんな日々のやりとりに、あなたらしい物語が生まれます。お弁当作り12年目というエッセイスト・大平一枝さんによる、「からっぽ」にまつわる3つのエピソードをお届けします。
おおだいらかずえ 大平一枝

1964年長野県生まれ。作家、エッセイスト。21歳長男、17歳長女、映画製作業の夫との4人家族。弁当作りは塾弁から数えて足掛け12年。最新著書『男と女の台所』(平凡社)『あの人の宝物』『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)ほか多数、共著に『母弁』 (主婦と生活社)が。朝日新聞デジタル「&w」にて『東京の台所』(写真・文)を連載中。

 

たっぷりのありがとうの代わりに

 

クリームコロッケ、味噌カツ、銀ダラの麹漬け、
冬瓜のそぼろ煮、人参とこんにゃくの甘辛いため。
息子の高校最後の弁当作りの朝、思いたって写真に収めた。
いつも慌ただしく、弁当を撮ったのはそれが最初で最後である。

中高とサッカーをしてきた息子は、とにかく味より量。
これでもかとごはんやおかずをぎゅうぎゅうにつめても、
必ずからっぽになって返ってくる。

この箱には、あのときの私の精一杯がつまっている。
もちろん、サッカーと恋と少しの勉強と、息子の6年間の青い日々も。

男の子なので、あまり「ありがとう」は言わない。
あの朝もたしかそうだった。「行ってきます」。
言葉少なに弁当箱をサッカーバッグに入れ、いつものように家を出て行った。

夜、帰宅すると、「これ」と大きな包みを照れくさそうに差し出した。
開くと、加湿器だった。

「なにこれ。どうして」
「弁当のお礼。うち、空気乾燥してっから。あったら喜ぶかなと思って」
加湿器は唐突だったが、彼なりに考え抜いた結果なんだろう。
からの弁当箱にはメモが添えられていて、
「毎日ありがとう。おいしかったよ。
大学に行っても、サッカーやるつもりなんで、学食じゃ足りなさそう。
これからも弁当よろしく」と書かれていた。

なんだ、また作るのか。でも、まあそれもいいか。
あと何回かわからないけれど、
つめてもつめてもからっぽになって返ってくる弁当箱を洗うときの
あの達成感にも似た喜びを味わうのは悪くない。

愛というほど大げさなものじゃない。
けれども確実に、からの弁当箱は、作る者と食べる者の心をつなぐ。

それは、ふだんは見えないが、ときどき目に見える形となって現れる。
加湿器やあの最後のメモのように。

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パパ弁、ママ弁

 

出張で10日間、家を空けた。その間、夫が高校生の娘の弁当を作った。
祖父母の助けなしに、それだけ長い間、父娘で過ごすのは初めてだった。

出張から帰宅すると、娘の書きかけの手紙がちゃぶ台に置かれていた。
「パパのお弁当は彩りも良く、無理なく野菜もとれて、とてもおいしかった。
ついては提案だが、ママも仕事が大変だろうし、
残り1年半はパパが弁当を作ってはどうか」という内容だった。

つまりは、母の弁当より父の弁当の方がおいしいよという、
ていねいな“だめ出し”である。

夫は、まんざらでもなさそうだ。
「せやろ? 俺の弁当うまいやろ? 子どもが好きそうなおかず、わかんねん」
「じゃあ、卒業までパパが作るのはどうかな」
「むりむり」
「1週間交代は?」
「んー、それならええかな」
というわけで、我が家は3か月前から1週間交代制になった。

夫は帰宅すると、いの一番に娘に「今日の弁当どうやった?」と聞くのが日課だ。

そして、いそいそとハンカチの包みをほどいて、私に聞こえよがしに、
「あー、からっぽや」と言いながら、本当に嬉しそうに洗う。

そんな彼を見るのは初めてで、もっと早く出張しておけば良かったなどと思う。
いまは、おひたしや胡麻和えの作り方を教えたり、
「付け合わせの漬け物を買うといたで」「わ、助かる」と、
思いがけず、おかずについて夫婦の会話が増えた。

私は、手紙に書かれた「残り1年半」という文字に、子育ての時間の短さを思った。

毎日毎日、この先もずっと続くと思っていた弁当作りには、いつか終わりが来る。
その先はきっと、娘は私のあずかり知らぬ所を生きてゆく。
そう思うと、なんでもない弁当作りが少し愛しくなる。

4月になった。交代制の弁当作りは正味あと10か月。
夫に負けないよう、からっぽをめざしてちょっと頑張ってみようと思っている。

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母から母へ

 

10年あまり前の懐かしいお弁当の記憶。
いまでも、町の雑踏の中、遠くに彼女を見かけると、あのかぼちゃの味を思い出す。

娘が6歳の頃、どうしても夜までかかってしまう仕事があり、
同じ保育園に通わせている近所のママに夜まで預かってもらった。

私は超特急で仕事を終わらせ、息せき切って彼女の家に駆けつけた。
「お疲れさま〜。いい子だったよ〜」
エプロン姿のママ友が笑顔で迎え出て、「はい、これ」と包みを差し出した。
「きっとご飯食べてないでしょ。ありあわせだけど。
容器は百均のだから返さなくていいよ」
「え?」

それは私のために作ってくれたお弁当だった。
ああ、そうだ。1分でも早く帰ろうと、
今日は夕食どころか、昼から何も食べていないのだった。
その瞬間、朝から気を張って、
嵐のように仕事をしていた私のがちがちに硬くなっていた心が、ほわんとゆるんだ。

母は、いつも弁当を作る側で、誰かを褒めたり励ましたりしてあげる側だ。
「お疲れさま」も「よくがんばったね」もあまり言われない。

親になってから、自分のために誰かにお弁当を作ってもらうのは初めてだった。
包みから手の平にほのかな温かさが伝わる。

帰宅して、包みを開くと、かぼちゃの煮付けや豚肉の甘辛煮がぎゅっとつまっていた。
「あ、それ甘くておいしいんだよ!」と娘が教えてくれる。
そうか、同じものをいただいたんだね。
今日はあやのちゃんママのごはんの日だね。
一緒に食べていないが、一緒の味を共有している。
疲れた体に、かぼちゃの甘味がやさしくしみる。

母が母のために作るお弁当は、とことんやさしくて味わい深い。
仕事と家事と育児に、深呼吸をする間もないような日々のなかで、
「お互い明日からもがんばろうね」と、エールを送られたような気がした。

私はからっぽになったお弁当箱を洗い、お菓子をつめて返した。
それは、あやのママもがんばって、のほんのささやかな私からのエール返しである。

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2017年4月掲載

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